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有明海の自然と漁の特徴

 広義の有明海は、南北に細長い内湾で、東京湾・伊勢湾などと規模はほぼ同じで、面積は約170平方キロメートルである。海図や国土地理院の地図には、有明海の奥(佐賀県と福岡県に囲まれた範囲)が、有明海と表記されていて、地元では「まえうみ」と呼んでいる。島原半島と熊本県に囲まれた南三分の二は、島原湾あるいは島原海湾と表記されていて、泥干潟は発達せず砂泥や礫の干潟が多い。

 このように地先によって自然条件は異なっているが、まだ全国の干潟の約半分が有明海には残っていて、特に佐賀・福岡両県の沿岸は水深が浅く、泥干潟が沖合い数キロまで発達している。そのため古くからいわゆる干潟漁が数多く受け継がれてきていて、その数はゆうに五十種類を超えている。しかし、近年、有明海の環境が悪化してきたため干潟の生きもの(特にアゲマキなどの二枚貝類)が減少してきていることと、干潟漁を生業(なりわい)としてきた人たちの高齢化とが重なって、干潟漁は減少傾向にある。また、伝統漁法の竹波瀬や筌波瀬、甲手待ち網なども水揚げが極端に減り、後継者が育ちにくい状況にある。

 干潟漁の必需品は、今も昔もほとんど変わらず、まず干潟を移動するための滑り板(地元では、跳ね板・蹴り板・押し板・潟板・す板、あるいはある地域では「ひゃあぼう」とも呼ばれている)と、獲物や道具を入れるための桶(ハンギーと呼ぶが、今は野菜や果物を入れるFRP製のコンテナで代用)、それから漁に使う道具(タカッポ・掻き棒・網・板鍬・釣竿など)が必要である。

 今は数キロ沖の干潟まで板で滑ってゆくことはほとんどなくなり、船外機付きの小船に道具を載せて漁場までゆき、そこで潮が引くのを待って板を下ろして、それを操って移動しながら漁をすることが多い。しかし、以前は4キロメートルも5キロメートルも沖の干潟まで滑っていって漁をして、潮が満ち返すと獲物を満載して岸まで戻っていた。アゲマキ・ハイガイ・牡蠣などを採るときは、100kg近くある篭や桶を載せて押して戻るのだから、相当な重労働であっただろう。

 今でも佐賀県や福岡県柳川、熊本県荒尾などの地先では、真冬を除くと、干潟漁に出る人を結構見かけるが、それを生業としている人は減ってきている。また、昔ほどではないが、11月下旬から2月にかけては、夜間潮がはるか沖合いまで引くので、“夜潟”とか“穴ハゼ掘り”“夜ぶり”などと称して、大潮の夜半から早朝にかけて、タイラギ・ハゼクチ・クツゾコ・タコなどを捕りに漁業者も一般の人も出ている。タイラギも水深が浅いところでは生き残っていて、いい場所に当たれば相当量採れることもあるという。

 島原半島や熊本県の宇土半島、天草の島々の海岸の大部分は、礫と岩石が多いが、ところどころに砂浜も発達していて、ウミガメが産卵に来るところもある。湾口部の早崎瀬戸は潮流が早く春の大潮のときは、潮の流れは6ノット前後になり、水深も100m近い。また、天草と島原半島の間の水深は深く、100mを超えるところもあり、外洋性の魚も入ってくるので、漁の方法も漁具も原理は同じであっても規模は大きくなっている。そのため湾奥部では見られない機船底引き網漁・船引き網漁(五知網漁)・裸もぐり(素もぐり)・一本釣り・延べ縄・定置網なども盛んに行われていて、一部では19トン型漁船で東シナ海へ出漁している。以前は5トン未満の漁船でも、延べ縄やイカ釣りなどに五島や壱岐・対馬近海まで出漁する船も多かったが、最近は資源の枯渇や燃料の高騰が原因で、ほとんど出漁しなくなった。

 このように広義の有明海は、自然条件が多様であるため、それぞれの地先の自然条件に合った漁法・漁具が考案され受け継がれてきている。一方漁業の近代化と網やロープなどの素材が化学繊維に替わり、漁船の高速化やローラーなど網揚げの機材の開発などもあって、漁業努力が資源の回復を阻止していることも事実である。有明海の未来は、さまざまな悪条件が重なり自然の状態は悪化する一方で、明るい見通しは立てにくい状況にあることは否定できない。現在行われている有明海再生のためのさまざまな手だても、残念ながら有効なものは少ないとの見方が強い。

 また、有明海は、トラフグなど外洋性の魚の産卵の場であり、その仔魚や稚魚の揺籃の場でもあるといわれている。このまま有明海の環境が悪化を続ければ、東シナ海の漁業資源にも影響が出てもおかしくない状態になってきているのかもしれない。日本沿岸だけでなく、韓国・中国沿岸の環境破壊もかなり進んでいる。黄海・東シナ海の総合調査が待たれる。
                                  監修  中尾勘悟


 
   
 

 

 
 
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